以前作成した応援幕からの転用デザインです。
2間×3間(3600×5400)の巨大な応援幕と比べると、このタペストリーは900×600しかありません。
通常打ち合わせ用に原寸の数分の一に縮小したサンプル版作るのですが、それをそのまま製品にしたいというクライアントのご要望から実現した製品です。
校正なしの一発勝負でしたが、さすがの増成織ネームさんはGood jobでした。
※2011年12月23日、数人の方からご質問頂いたので印刷に関してお話したこちらをお読み下さい。
以前作成した応援幕からの転用デザインです。
2間×3間(3600×5400)の巨大な応援幕と比べると、このタペストリーは900×600しかありません。
通常打ち合わせ用に原寸の数分の一に縮小したサンプル版作るのですが、それをそのまま製品にしたいというクライアントのご要望から実現した製品です。
校正なしの一発勝負でしたが、さすがの増成織ネームさんはGood jobでした。
※2011年12月23日、数人の方からご質問頂いたので印刷に関してお話したこちらをお読み下さい。
この度の震災で被害にあわれた方々へ心よりお見舞い申し上げます。
複数の海外の支援者から被災地の様子を詳しく知りたいとの要請があり、福島県いわき市豊間地区から南下して、いわき市小名浜漁港〜北茨城大津港周辺〜五浦六角堂〜再度北上して福島県双葉郡楢葉町(Jビレッジ周辺)と被災状況を取材してきました。
この記事をお読みの中にも、被災したご親戚、あるいはお知り合いの方々がいらっしゃるかと思います。
このページをご覧になりショックを受けたり、あるいはご気分を害してしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、どうかご容赦下さい。
なぜ福島なんだと気にされるかもしれませんが、福島県は地震+津波+放射能汚染という前例のないトリプル災害に見舞われ、世界中から注目を集めています。
生まれも育ちも東京という私にとって、福島は電力供給の恩人でもあり、FUKUSHIMAを復活させることが日本再生の鍵になるのではないかとの想いもあります。
メディアで繰り返し報道していたので、小名浜漁港が津波に襲われる映像が頭の隅にあるかと思いますが、実際に間近で見る津波の被害は想像以上で、数キロ北上した豊間地区などでは防波堤が根元から折れるなど凄まじい様相でした。
土台しか残らない家、遠目には家の外観を保っていても近寄ると天井裏や壁から断熱材が剥がれ落ちているような家など、構造や立地によって命運を分けた様子が伺えました。
海岸を歩くと消波ブロックに乗り上げたままの車や、津波に運ばれてきた大量の砂によって埋もれてしまった漁船の姿もありました。
「瓦礫」の大半は被災した住居から流失した日用品で、散見する時計には15時15分過ぎで止まっているものが複数見受けられました。
高速に戻り北上を続けるとやがて広野インターに突き当たりました。ここから先は通行止めのようです。
地図を見ていたので意識はしていたのですが、まもなく近隣に人気のないことに気が付き原発が近いことを感覚的に悟りました。すると途端に何とも表現しようのない感覚に陥りました。
ふわっとした感覚というか、軽い恐怖のようなものを感じつつそのまま進んで行くと、間もなくニュースで見ていた楢羽町Jビレッジ脇の交差点で検問に合いました。
駆け寄ってきた警官から「20km圏内警戒区域には入れない」と説明を受けている最中、正面からダンプカーが走って来るのが見えたので、「あっちに行きたい」と説明したところ、「ああ、あれは汚染車の出口です」と事も無げ放った警官の言葉に2度目の衝撃を受けました。
政府から再三「ただちに人体に影響を及ぼすような危険はない」と言われていた言葉の裏には、命がけで現場で処理に追われている人たちがいると直感した訳です。
土地勘もない上に夕暮れ間近ということで、やむなくここで引き返す事にしましたが、粛々と列をなして走り去って行くダンプの後姿が脳裏に焼きついて暫く頭から離れませんでした。
復旧まで引き続き関心を持ち続ける事が重要だと考えておりますので、今後も何かニュースがありましたらご報告差し上げます。